「反原発」の憂鬱
「反原発」の憂鬱
こんなことを書くとお叱りを受けるかも知れないが、どうも「反原発」のニュアンスには
・心情的な方向性
・イデオロギーとしての方向性
・政治的な利用価値
といったものを感じる。
本当に「廃炉」の道を選ぶことを考えると憂鬱になる。
1 この「廃炉」のまったく何も生まない、しかも「廃棄物」というゴミの処理まで、自分達の「税金」で処理しなければならないのか。
2 「原発」の技術者は海外へ流れ、日本に技術者はいなくなる。その時何か不測の事態が起こったらどうするのか。
3 「廃炉」になる運命の「原発」に、施設を更新して「津波」に対応することができるのか。
4 「もんじゅ」の技術が「中国」に流れて、中国版「もんじゅ」ができることを許すのか。
5 「原発」技術を失った日本は、中国で「原発事故」が起こったらどうするのか。
まあ、こんなことを考えると、私は憂鬱です。
多少、気休めになる記事をいくつか。
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日時:2012年6月28日 18:47